●イラン ひたひたと迫りくる経済危機 その②

(2007年1月26日掲載)

 前回の記事では経済のどの分野をみてもイランは不振にあえいでおり、このままでは深刻な状況に陥ってしまう。その責任はアフマディネジャド(以下「ア」)政権の失政にあるというものであった。今号ではArab Newsは「ア」政権の在り様について興味深い記事を掲載している。


◆ 選挙結果はアフマディネジャド大統領に対する不満が増加

 「ア」大統領に対する不満は12月に実施された専門家会議の委員選挙及び地方議会選挙により大いに反映されることになった。しかし、大統領に近い候補者たちの当否は惨めな結果に終わったが、ホメイニ運動を支える急進派・・・「ア」大統領はその申し子ともいえるが・・・は投票の83%を確保した。専門家会議の選挙では得票率は約70%。選挙結果からみると、「ア」大統領の急進派としての個人的ブランドは色褪せたことになったが、ホメイニ運動自体は依然として強行路線を貫く様相を示している。


◆ 経済の毛沢東路線

 経済政策に関する限り、ホメイニ派は内部で2派に別れる。一方は中国共産党の経験に裏打ちされた毛沢東構造路線派。この派の主張によれば、「ホメイニ主義は外的世界との緊張関係の中では存続できず、敵国を中立化する反面、友好国との関係を深める方法を追求しなければならない」というもの。また、共産中国をモデルとみなし、「中国で生き延び繁栄の基盤となった毛沢東体制のように、ホメイニ体制は世界貿易の中で一定の地位を占めるべきだ」と主張する。


 ビジネスに踏み込んだ聖職者階層は中国モデルを擁護してきた。その試行時期は1990年代のラフサンジャニ大統領の時代。大統領自身も今でもイランで最も富裕な人物である。イラン・イラク戦争を終結させ、イラン市場を開放し、いまだにイスラム体制の“黄金時代”と記憶される程のミニ経済ブームをもたらした。


◆ もうひとつの経済路線は北朝鮮路線

 当初から、中国モデルに対抗するのが“北朝鮮路線”。この派の理論的指導者は1980年に首相に就任したMuhammad-Ali Raja’i。同氏はその後、イスラム・マルキスト・グループのMujahedin Khalqに暗殺された(1981年)。Raja’i氏のうたい文句は“自給自足”。「イランが異教徒の経済支配にさらされれば、純粋なイスラム社会は不可能だ。イラン人よ、イラン製品を買え。また、イラン人は何も必要としない、という前提で“ゼロ”ベースからスタートせよ」と主張する。「ア」は自分自身の影をRaja’iの後継者として投影し、公衆の面前で「Muhammadにアラーの祝福あれ、Raja’iの友よ、来たれ」というのだ。


◆ アフマディネジャド大統領の質素な個人生活

 「ア」 はテヘラン北西部のArdabil“ 外国製品を減らし自国製品を増やすため州都で外国商品の宣伝写真物(デビット・ベッカムや俳優のクルーニー)を撤去させ、その後に、パレスチナ人や他のアラブの自爆者の写真を置き、”殉教者“と称えていた。「ア」の個人生活をみても自給自足の精神をみてとれる。彼は大統領公邸を出て、テヘランのはずれの3寝室しかない自宅で生活し、イラン国産車に乗っている。「ア」はいう、「中国は革命の純粋精神を欺いたが、北朝鮮はそうではない・・・ラフサンジャニのような聖職商人はホメイニ革命を経済的繁栄という美名の下で大悪魔米国に率いられる異教徒とファウスト的取引をしている」


 1980年代の初めからホメイニ体制内部で経済路線をめぐる両派の衝突があり、現在も続いている。今後、両派の対立がどちらに振れようとイランの政策を形成していくことになる。

以 上

(幹事 砂野民男<すなのたみお>)