選挙を経て制憲議会のはじまったチュニジアの一部地域で抗議デモが発生
(2011年11月28日掲載)

 アラブ諸国における民主化運動の発端となる政変を経て、新たに国民投票で選ばれた制憲議会の開会したチュニジアの一部地域で、2011年11月23日、政府に対する抗議デモが発生した。抗議デモが起きたのはカセリーヌ町である。原因は議会で読み上げられたベンアリ大統領の追放に至る抗議デモで死亡した犠牲者の名簿から、同町の一部の住民の名前が落とされていたためである。

 数千人の抗議者は、同町の刑務所への放火を試みたり銀行や政府庁舎の襲撃を行おうとなどしたことから、治安部隊が警告弾を放ち催涙ガスを撃ちこむ騒ぎに発展した。同様の騒ぎはサラでも起きている。このためチュニジア政府は、騒動の発生した地域に対して、同日の午後7時から翌朝6時まで一時的な夜間外出禁止令を発表した。

 但し、その後、ムスタファ・ベン・ジャファリ国会新議長とモンセフ・マルズーキ新大統領が、テレビを通じて謝罪したことから騒動は収まった。二人の指導者は、犠牲者名簿を準備するに当たり誤って一部の犠牲者の名前が割愛されてしまっただけであり他意はなかったことを説明のうえ、殉教者に対する道徳的及び物質的な補償を最優先に考えていることを強調した。

 ところでチュニジアの主要3政党は、11月21日、連立政権の樹立で合意すると共に、首相、大統領、制憲議会議長の3ポストを3政党で分配することを決めている。首相には政権議会選挙で第一党となったイスラム穏健政党の「アンナハダ(復興)」のハマディ・ジェバリ事務局長が就任し、大統領には第二党となった共和国評議会のモンセフ・マルズーキ党首がそれぞれ就任することとなった。また制憲議会議長には、エタカトルムのムスタファ・べンジャファール党首が就任する。尚、「アンナハダ(復興)」のヌルディーン・ブヒリ報道官は、3党が1年以内に総選挙を実施することで合意したことを明らかにしている。

 制憲議会(定数217人)は翌日の11月22日に開会し、今後、新憲法の作成に当たることになる。1956年のフランスからの独立時に大きな役割を果たしたアフメド・メストゥリ氏(86歳)は「制憲議会の開会はチュニジアにとって第二の独立のようなものである」「それは旧体制との決別の象徴であり、合法的支配の樹立である」(ミドル・イースト・オンライン 2011年11月22日)と感慨深げに語っている。尚、同日、議会の外では数百人の市民が「我々は貴方たちを監視している」「過激主義はノーである」「個人条項には手を触れるな」と書かれた垂れ幕を掲げながら、市民による政変を尊重することを訴えていた。民主チュニジア市民戦線のラフィク・ブージャリア氏は「我々は本日、議員諸氏にチュニジア革命の求めているもの、つまり尊厳と自由を忘れさせることなく、チュニジア国民が白地小切手を手渡したわけでもないことを思い起こさせるためにやって来た」(同上)と述べ、今後も議会活動を厳しく監視して行くことを明らかにしている。

 因みに、チュニジア制憲議会の政党別の最終的な議席数は以下の通りである。

政     党     名 獲得議席数
アンナハダ(復興) 89
共和国評議会(または、共和国議会等) 29
人民請願党 26
エタカトルム(または、労働と自由のための民主フォーラム) 20
進歩民主党 16
民主近代主義者極(ポール)
共 産 党
その他小政党計 13
無 所 属 16

11月26日、記
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(幹事 畑中美樹<はたなか よしき>)