![]() |
||
|
||
| (2011年6月14日掲載) | ||
シリアのバース党独裁体制とは宗教的な少数派のアラウィー派の支配体制の別名である。アラウィー派支配の核心はアサド家と周辺の人々への権力の集中である。アサド独裁とはバシャル・アサド大統領個人の手中への権力の集中ではなく、アサド家への権力の集中である。そのアサド家が、民衆の大規模な民主化を求める抗議行動に直面している。その対応をめぐってアサド家の中で意見の対立があるとの見方が広がっている。 具体的には穏健なアプローチを志向するバシャール・アサド大統領と強硬な対応を主張する弟のマーヘル・アサドの間での綱引きである。そもそもアサド家には四人の息子がいた。長男のバシールがハーフィズ・アサド前大統領の後継者と考えられていたが、1994年に交通事故で死亡した。ロンドンで眼科医としての教育を受けていた次男のバシャールが急遽帰国し、後継者として育てられた。そして2000年にハーフェズが死亡すると大統領に就任した。激しい性格と伝えられる三歳年下の弟のマーヘルは、軍人として教育を受け、戦車部隊の指揮官を経験し、現在は軍の精鋭部隊である共和国防衛隊と第四師団の司令官の職にある。共和国防衛隊はアラウィー派の将兵のみで構成されている。そもそもシリア軍の職業軍人と将校の大半がアラウィー派である。なお四男マジードは、つい最近病死している。マーヘルが代表するのは軍、そして数万人の要員を擁する治安当局の意向である。それゆえ、バシャール大統領も弟を軽視できない。抗議行動への対応が手ぬるいとしてクーデターを起こされる可能性も排除できない状況のようだ。2008年には親族によるバシャール大統領に対するクーデター未遂が報道されている。 住民の蜂起そして兄弟のライバル関係は父親のハーフェズの時代にもあった。1982年にハマーという都市でムスリム同胞団が蜂起した際には、ハーフェズの弟のリファートの部隊がハマーを包囲し、砲撃し、部隊が突入して大量虐殺によって事態を沈静化させた。 その2年後の1984年に、弟のリファートが自分の部隊を首都ダマスカスに進軍させる事件があった。兄のハーフェズが心臓病の発作を起こしたからである。しかし、回復したハーフェズも部隊を動員した。シリアは、兄弟による内戦の瀬戸際まで近づいた。この際にハーフェズが老いた母を弟のリファートの元に送り、そして自らが弟の軍営を訪れた。母の前での直談判で資産の海外持ち出しなどを認めて、弟を亡命させた。内戦は避けられた。 今回もまた兄弟間での対立が厳しくなるような事態になると先が読めない。バシャールは、父親ハーフェズのようなカリスマや豪胆さは持ち合わせていない。また前回と違い、ハマーだけでなく全国各地で国民が政府に反乱を起こしている状況である。兄弟間の争いはアサド家支配体制の命取りになりかねない。 |
||
| (6月5日、記) |
||
| <関連情報> ●シリアのデモが武装闘争へ【2011/6/10】 ●アサド・シリア大統領が全政治犯に恩赦を与えると共に国民対話委員会を設立するなかトルコで体制変革会議を開催した反政府勢力(6月2日時点)【2011/6/3】 ●犠牲者の急増を受けロウソクを使った夜通しの抗議へと戦術を変えるシリアの反政府運動(5月29日時点)【2011/5/31】 ●アサド・シリア大統領ほか7人の政府高官に経済制裁を課したオバマ米政権と不発に終わったゼネストの呼びかけ(5月18日時点)【2011/5/20】 ●中東・北アフリカ諸国の民主化~シリア・イエメン・バハレーン・オマーン・サウジアラビア・チュニジア・アルジェリア・モロッコのその後の動向(5月10日時点)【2011/5/13】 注:関連情報はJAMEEF編集部が付記した。 |
||
| (評論家 高橋和夫<たかはし かずお>) http://ameblo.jp/t-kazuo/ |