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| (2011年4月26日掲載) | ||
2011年4月22日シリア各地で大規模なデモがあった。治安当局が発砲し、少なくとも百名が死亡した。チュニジアとエジプトの影響を受けて、2ヶ月前にシリアにおける民衆のデモが始まって以来の最大の犠牲者数となった。22日は金曜日であり、イスラム教徒の集団礼拝の日である。集団礼拝の後に抗議行動が始まることが多いので、シリアの治安当局は厳重な警戒態勢を敷いていた。 また、前日の21日にアサド大統領が、イスラエルの脅威を口実に1963年に導入されて以来40年以上にわたって実施されてきた非常事態法の撤廃を、発表したばかりであった。同法は、令状なしで容疑者を拘束できるなどの強力な権限を治安当局に与え、与党バース党の独裁体制を支えてきた。この発表で事態が沈静化するかどうかが注目されていた。また沈静化しない場合の治安当局の反応も注視されていた。 流血の惨事に関して同日の22日にオバマ米大統領が「抗議活動を鎮圧するための非道な暴力の行使を今すぐやめなければならない」と強く迫った。さらに「同盟者であるイランが使ったのと同じ残忍な手段で市民を弾圧するため、イランに支援を求めている」と指摘した。イランがシリアのデモ弾圧を支援していると批判したわけだ。中東における抗議活動の弾圧の直後に、しかも直接オバマ大統領が発言するのは異例の対応である。通常は国務省が対応してきた。またイランの関与を批判した点も注目される。ただし、その詳細に関しては米政府は何ら説明をしていない。恐らくは信号に設置するデモ隊監視用の小型カメラや外国からの放送の受信を妨害する装置などがイランから送られているのではと推測される。 デモ隊を銃撃するのにイランの支援が必要とは考えられない。バース党支配下のシリアにおける最大の反政府行動は、1982年の中部の都市ハマでのムスリム同胞団の蜂起であった。現アサド大統領の父親のハーフェズ・アサド大統領の軍隊がハマを包囲し、徹底的な弾圧で応じた。千人規模とも万人規模とも言われる大虐殺によって、蜂起は終息した。 こうした手段に訴えてまで政権を維持しようとするアサド体制では、シリアの人口の1割程度を占めるに過ぎないアラウィー派と呼ばれる少数派の人々が中核を占めている。アラウィー派が大統領職を始め治安や軍の要職を押さえている。1割が武力で国民の大多数であるスンニー派を支配するという体制なので、民主化は難しい。民主化はマイノリティー政権の終わりを意味するからである。 政権の存続の鍵を握るのは軍の動向である。現在の段階では、軍には組織的な寝返りの兆候は見られない。抗議行動と激しい弾圧という血のサイクルの連鎖が、しばらくの間は予想される。 |
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| (4月25日、記) |
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| <関連情報> ●非常事態法の撤廃も奏効せず全国主要都市での大規模な反政府デモへと発展したシリア(4月23日時点)【2011/4/26】 ●内閣総辞職やアサド大統領の国会演説後も拡大を続ける改革を求めるシリアの反政府デモ(4月9日時点)【2011/4/12】 ●短期間に「自由・民主主義」や「腐敗の一層」等を求める反政府デモが全国主要都市に拡大したシリア(3月25日時点)【2011/3/29】 ●フェイスブック・グループ「バシャール・アル・アサド大統領に反抗するシリア革命2011年」の呼びかけに応じ顕在化し始めたシリアの反政府デモ(3月20日時点)【2011/3/22】 ●ヨルダン、シリアのその後の反政府デモ等の動向(3月7日時点)【2011/3/11】 ●多くのアラブ諸国で反政府デモや生活改善を求めるデモの行われた2月25日の金曜日【2011/3/1】 ●当局の厳しい警戒のためかフェースブックで呼びかけた「怒りの日」の反政府デモが不発に終わったアサド政権下のシリア【2011/2/7】 ●シリアはエジプトと同じような道は通らないと語るアサド大統領とフェースブブックでの抗議行動の呼びかけ【2011/2/4】 注:関連情報はJAMEEF編集部が付記した。 |
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| (国際政治学者 高橋和夫<たかはし かずお>) http://ameblo.jp/t-kazuo/ |