イラクの石油開発と日本 その③
(2008年7月25日掲載)

石油鉱業連盟によるイラク油田調査団の派遣

◆ イラク革命政権の誕生

 1958年の軍事クーデター後、王政から共和制に移行したものの、イラクでは依然として国内の政争やクーデターが絶えず続く中で、カセム政権は英米仏3国支配下のイラク石油(IPC)の持つ期間75年に及ぶ石油鉱区の開発利権のうち手付かずの利権鉱区(IPCの利権鉱区の99.5%)を1961年接収し、これらの鉱区を1964年に設立したイラク国営石油会社(INOC)の保有鉱区とした。INOCは諸外国からの参加を求めて探鉱・開発を進めようとした。


◆ 各国の動向と日本

 このような動きの中でアメリカの独立系石油会社、やフランス、イタリア、スペイン等の企業はINOCと接触を始めた。わが国も1964年、石油鉱業連盟(注)が強い関心を持ってイラクに調査団を派遣した。各国の最大の狙いは巨大な埋蔵量を持ち未開発のNorth Rumaila油田の開発を手掛けることであった。その後、同油田開発は自国のINOCがソ連やフランスの支援を受けて開発を手掛けた。

(注) 石油鉱業連盟
石油開発を手掛ける帝国石油、石油資源開発、アラビア石油、北スマトラ石油開発協力の4社は石油産業の自由化が国産原油及び海外開発原油の引取り問題に及ぼす影響の重大さから1961年「石油鉱業懇話会」を設立し、同年、発展的解消し「石油鉱業連盟」を結成した。



◆ North Rumaila 油田


 各国が関心を寄せたのはNorth Rumaila油田。Rumaila全体の埋蔵量は約150億㌭。IPCが既に探鉱作業を終え、極めて重要な油田の存在を明らかにしながら、開発に至らなかったためイラク政府に接収されたのが同油田。油層構造は国境を越えてクウェート側に伸びている。1990年、イラクがクウェートに侵攻した時、フセイン大統領は「クウェートはイラクの油田を盗掘している」と侵攻の口実の一つとしたのはこの油田である。イラク政府が自主開発路線をとり、ソ連と手を結び、1.4億㌦の低利借款を受け開発を進めた。


◆ North Rumaila 油田開発前のイラクの油田

キルクーク 927年10月、一号井で暴噴を起し、1週間は手も付けられないという成功振り。生産は1934年。
アイン・ザラー IPC傘下のモスル石油が1939年発見。
ズベイル IPC傘下のバスラ石油が発見1949年。
バイ・ハッサン キルクーク油田の細長い地質構造に沿っている。IPCによる開発は1953年。IPCはキルクーク油田周辺の地質構造を物理探鉱による調査で早くから知っていた。

 上記油田のうち、現在、イラク石油省と水面下で開発交渉が行われているのがキルクーク、ズベイル、バイ・ハッサン。このうちIPCの株主企業であったメジャーズはキルクーク(シェル)、ズベイル(エクソン・モービル)の2油田。

以上

参考文献: ① 石油戦争の歴史 湾岸の興亡
        山田栄三著 1991年8月発行、新潮社刊
      ② 戦後石油産業史 石油連盟刊 1985年発行
      ③ 石油鉱業連盟20年のあゆみ 石油鉱業連盟刊 1982年発行

(幹事 中嶋 猪久生<なかじま・いくお> )