イラクの石油開発と日本 その⑦
(2008年8月22日掲載)

 石油と食糧の交換計画(OFFP)の下での原油取引

◆ OFFPの下での日本・イラクの経済関係

 1996年12月、国連安保理決議986号によりスタートしたOFFP枠内での日本とイラクの関係は、経済関係より日本の対イラク政策という政治的立場が常に優先された中で両国間の貿易取引は微々たるもので、湾岸戦争前に占めてきたイラクにおける日本の経済的地位は二度と復活することはなかった。


◆ イラクのブラック・リスト

 イラクは「イラクと当該国との外交関係や国連安保理・イラク制裁委員会での対イラク政策等」により各国を3つのランクに分類し、この分類ランクが石油開発利権外交にも色濃く反映された。このリストは「ブラック・リスト」といわれ、アジズ副首相の助言に基づきフセイン大統領の指示により決定されたもので、経済諸官庁もこのリストによりOFFPの契約を決定していた。3つのランクとは、

   A (非友好国): 米国、英国、日本
   B (中  立): 多くの欧州諸国
   C (友好国) : フランス、ロシア、中国

となっており、日本を除く「非友好国」vs.「友好国」の構造は2003年3月の対イラク武力行使をめぐる国連安保理での対立構造そのものであったことが判る。


◆ イラク原油の輸入

 イラク制裁委員会で、「(日本は米英に追随して)馬鹿丁寧な書面審査を行っており、このため人道物資の購入とイラクへの搬入が遅れているのは米英日のせいだ」とイラクは主張して、OFFP下でのイラク原油の限定的輸出に関し、日本は当初の6カ月(1996年12月~1997年5月)を除きサダム政権が崩壊する2003年3月まで締め出された。

 1996年12月から始まったイラク原油の限定的輸出(6カ月毎の更新)に関連して、Phase 1でイラク国営石油販売公社(SOMO)と契約していた日本企業3社(出光興産、三菱商事、コスモ石油)は97年8月、SOMOから「日本には石油を売らない」と通告された。当時、SOMO内部では世代交代が進んでいたがイラク政府内のテクノクラート組織に基本的な変更はなく、日本との関係も維持されていたことからすれば、この時点のイラクの決定はSOMO以上の高度な政治的決定でサダム・フセインとアジズ副首相のラインで決定されたものと考えられる。このような日本の痛いところを突く石油戦略は、2000年2月に失効したアラビア石油のカフジ油田権益をめぐるサウジアラビア側の対日交渉の手法にも遺憾なく発揮されていた。

 イラクは日本にかかる手段で揺さぶりをかけながら、他方では、米国や英国の石油会社にはイラク原油を売っていた。イラクの第一の狙いは、米国のオイル・メジャーは米国の対外政策にも大きな影響力を行使できると期待したことであった。逆にいえば外交政策を変える程の力を持たない日本の商社や石油会社は、単なる「ビジネス・パートナー」に過ぎないと見做されていた。第二に、イラクは対外政策のターゲット(国連による対イラク制裁解除)を米国に絞込み、米国との間に妥協が成立すれば英国や日本は容易に米国に追随すると考えられていたのだ。

以上

(幹事 中嶋 猪久生<なかじま・いくお> )