イラクの石油開発と日本 その⑥
(2008年8月19日掲載)

 フランスElfからMajnoon油田共同開発の誘い

◆ イラクによる石油利権外交

 1991年3月、湾岸戦争終結後、国連による経済制裁下にあったイラクのフセイン政権は1993年頃から制裁の早期解除に向けた外交活動を再開した。密かに石油利権外交を水面下で展開したのだ。ターゲットとなったのは国連安保理常任理事国で親イラク派とされたフランス、ロシア、中国。イラクの石油開発利権を与える代わりに安保理で制裁解除に向けての支援を求めたのである。この計略は、時系列的にみると開発契約の締結や優先開発交渉権の取得という形で実現していくことになる。

1997年 中国CNPCによるAl Ahdab油田(埋蔵量14億㌭)の開発契約締結
同 年 ロシアLukoilによるWest Qurna PhaseⅡ(埋蔵量150億㌭)の開発契約締結
同 年 フランスElf AquitaineによるMajnoon油田(埋蔵量200億㌭)、TotalによるNahr Umar油田(埋蔵量60億㌭)の優先開発交渉権の取得

 しかし、フランスの場合、イラクとの間で秘密交渉(於ウィーン)が始まったのは1994年のことで、既にこの時点で優先開発交渉権取得の合意が成立していたのである。

 2003年3月のイラク戦争に先立ち、これら3国こそ国連安保理で米英によるイラク攻撃論に激しく反対したのは何を物語るのであろうか?


◆ 日本企業への打診

 1994年、Elf Aquitaine(現Total)はイラク最大のMajnoon油田開発利権(優先開発交渉権)を得たが、1997年頃、同油田開発をめぐり日本企業に共同開発の話を持ちかけた。この時期は同じフランスのTotalがロシアのGazpromとマレーシアのPetronasを誘って、イランのSouth Pars 2 & 3ガス田開発契約に調印した年でもある。当時のフランス政府の立場は「対イラク油田開発契約は国連安保理のイラク制裁決議661号に抵触するものであり、イラクとの契約はあくまで制裁解除後に締結されるべきもの」ということで見送られた。日本は国連安保理非常任理事国としてイラク制裁委員会の中で米英と共同歩調をとり「石油と食糧の交換計画」枠内でのイラク向輸出案件について厳しい管理を行っていた。日本は国連にて「安保理常任理事国」となるためには米国の支持を欠かせず、また「制裁解除後」という条件付であっても、米国の意に反するような対イラク政策はとれそうになかったという事情もあり断念せざるを得なかったのであろう。

 Elfが交渉中のMajnoon油田の生産量は50万BDという超巨大油田で、巨額の投資が必要とされると予想された。このためElfにとっては油田規模が大きすぎることからリスク分散の見地より、米国の対イラク政策を睨みながら、水面下で米国のオイルメジャーの資本参加を密かに求めたとも言われている。

以上

(幹事 中嶋 猪久生<なかじま・いくお> )