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| (2008年8月1日掲載) |
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石油資源開発(Japex)によるガラフ(Gharraf)油田開発問題 ◆ イラクの石油利権外交 湾岸戦争後、国連による対イラク経済制裁網の中で、1994年からイラクは制裁解除に向けて支持を取り付けるため国連安保理常任理事国5カ国のうちロシア(旧ソ連)、中国、フランスに対し、石油利権外交を積極的に展開した。その結果、これら3国との間で巨大油田の開発契約や優先開発交渉権が結ばれた。具体例として、
◆ 日本の動き さらに、石油利権外交を推し進め、1995年3月、バクダッドで「The Future Oil & Gas Markets 2000-2010」会議を開催し、今後の生産目標(注1)と油田データ(注2)を開示した。イラク側はこの席上で「(外国企業が)油田開発事業に参入したいのなら、(イラクに対する)貢献度という位置付けで好条件を提示しなければ油田開発でよい条件にありつけない。また援助物資の額により開発を認められる油田が選別される」との方針を明確に打ち出した。欧米諸国がイラク油田の権益確保に動き出す中で、日本も遅ればせながらも参戦することになった。石油公団が約60%出資する石油資源開発(株)(Japex)が名乗りを挙げ、イラク石油省と交渉を進めてきた。開発交渉の対象となった油田はGharraf(注3)及びEast Baghdadで、Japexが開発提案書を提出したのはGharraf油田。Japexは1996年に数回に分けて技術者や幹部社員をバクダッドに派遣し現地視察を行い、石油省と協議を重ねてきた。1997年には国連による経済制裁解除後の開発着手を条件として覚書を交わす直前まできていた。しかしイラクをめぐる国際情勢の動向や、当時、日本が国連安保理非常任理事国として石油と食糧の交換計画(OFFP)の制裁監視委員会のメンバーに加わり「イラク輸入品にありもしない難癖をつけて輸入を妨げた」(イラク側の言い分)として、イラクが作成した国別ランクの中で「A」ランク、即ち米英と同列の「非友好国」としてイラクのブラック・リストに乗せられ、OFFPの下での貿易取引や原油の輸入、そしてGharraf油田開発利権からは遠ざけられた。
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| 以上 |
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| 参考文献:The French Betrayal of America by Kenneth R. Timmerman, 2004, Crown Forum, New York |
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| (幹事 中嶋 猪久生<なかじま・いくお> ) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||